O■第3回移住支援情報交換会の概要

日   時:平成26年8月23日(土)14:00~16:00
場   所:札幌市豊平区月寒西1条7丁目北海道広域避難アシスト協会内
交流の場「サロン・ド・からから」
テ ー マ:「移住体験者の話を聞く」
話題提供者:大石由利子さん、鈴木れいこさん、沖田 髙さん、髙橋章郎さん
進   行:北海道広域避難アシスト協会 本間紀伊子
参 加 者:避難者 8名
北海道総合政策部地域づくり支援局地域政策課 今 宏幸主事

■情報提供

【大石由利子さん(平取町在住)】
茨城県から家族(夫・中1長女・小1長男)で自主避難(当時10歳・4歳)
○移住の理由と経緯(茨城県→山梨県→札幌市→平取町)
・震災時茨城県から実家の山梨へ一時避難(半年間母子避難)
・その後、母子避難生活の限界を感じ、夫は、20年務めた仕事を辞め知人のいない札幌へ家族で避難。
・札幌では、避難者への恩返しができないかと思い、避難者支援の仕事。
・札幌での様々な問題として緊急雇用制度で期限のある雇用、被災元の住宅ローンを払い続ける、住宅支援の今後の不安、お子さんの学校になじめないなど
・今後の暮らしに向けて、以前より自給自足が夢だったことから新規就農ができないか考えたが自己資金の問題や年齢制限の問題があった。
・地域おこし協力隊という仕事を見つけて平取町に移住した。
・平取町は、札幌から車で2時間くらい、旭川から3時間くらい。人口は5506人 2864世帯(H26年8月現在)
○地域おこし協力隊とは
・都市部から過疎地域などに住民票を移して、新たな担い手として地域の活性化などの活動を行う。
・任期終了後6割が定住。
・1年ごとに契約を更新し最長3年間。住宅の補助もある。
・平取町では、目的を3通りに分け全国まれなコーディネーターをつけている。
①農業支援員(JAが、コーディネーターとなり、農業についての技術を学んだりする)
②農林業6次化支援員(自然塾酪農北海道がコーディネーターとなり、有機農業をまなび、加工品をつくったり養鶏に力を入れている)
③都市農村促進支援員(ノーザンクロスという会社がコーディネーターとなり、ツアーでの案内や、ガイド、アイヌ伝統文化を学び、工芸、イベントの手伝い、
観光案内所の仕事など)
・夫婦そろっての協力隊員は、なかなか無いとのことであった。

【鈴木れいこさん(日高町在住)】
○移住の理由と経緯(神奈川県→札幌市→平取町→日高町)
・神奈川県から娘さんと2人自主避難
・2011年6月に雇用促進桜台住宅を借りることが出来たが、自立した生活をするために、夏休みに北海道をまわって山村留学をする場所を探した。
・2011年9月から2014年3月まで平取町の親子山村留学(振内地区)をしながら生活。
・その後、自分たちらしく暮らせるように、2014年4月から隣の山の方の日高町に移住。
・日高町では、体験で住宅を借りて住むという支援があり、役場に紹介していて頂いて住宅を借りることが出来た。
・地域でのイベント、英語のレッスン、PTAなどで地域の人たちと一緒に活動しながら、仲良く暮らしている。
○日高町での今の暮らし
・過疎地で暮らしながら本州への出張もできるという生活をキープしている。
・平取町から、農業の仕事をいただいている。自由な時間で仕事をできるので自分のスキルアップのための時間をつくることができている。
・地域の人たちに、支えていただいて、幸せに暮らせている。
・地域に根付いて地域の中でという状況が多いが、自分たちが移住したことで集落間の距離が近くなった。それは移住者の役割だと思う
○移住3年が経過して思うこと
・3年の中で、どこにでも出かけて行き、たくさんのご縁ができ友達が出来、暮らしていきやすくなってきている。
・都会でも田舎でもどこに住んでも問題や失敗やトラブルはつきものである。新参者として試され問われる立場になる。
・信頼を得るためには、誠実に真面目に常識的に愛情を持って取り組むことが大切。
・今は、問題も課題も含めてとても楽しく地域を愛して暮らしている。
【沖田髙さん(石狩市在住)】
○移住の理由と経緯(いわき市→石狩市)
・いわき市からご夫婦で石狩町へ避難
・いわきに5年住んでいた。その前、東京、名古屋、大阪、定年後いわき市へ
・絹谷村という60世帯が暮らす美味しいお米のとれる村に住んでいた。
・一生住もうと思っていたため、地域になじむため、変わったことをしてよそ者と思われないために、いいなりになっていた。
・そうしているうちに信頼関係を築くことができ、やがては、組長や神社の総代まで頼まれ、村のトップとしてお祭りまで任されるようになった。
・そんなときに地震と原発事故が起こったが、信頼関係が築けたことで、村を離れるのが嫌だった。
○石狩市に住んでみて
・事故当時はすぐに知人のいる新潟に逃げ、その後、妻の実家がある札幌の近くの石狩市へ夫婦で避難。
・避難したばかりの時は、石狩川から北の方に渡ると吹雪がひどく、ふぶくと通行止めになりサラリーマンは通勤できなかったが、昨年、ふぶき対策に堀が整備され、ホワイトアウトが前年の15回に比べ1回だけだったので、今後は通勤もしやすいと思う。(札幌の中心から1時間)
・雪は、冬期間、毎日のように40㎝くらい降り、除雪が大変。
・石狩市は、バブル期の会社の撤退などで、空き家、空き地も多く、住宅が大変安く購入できる。
・札幌よりの石狩太美では、学園都市線の駅。中古住宅を手に入れることができ札幌まで30分。通勤には、さらに便利なのでおすすめする。
【髙橋章郎さん(夕張市在住)】
○移住の理由と経緯(石巻市→夕張市)
・震災が起こった時、海から1.5~2kmのところに会社があり、数分後津波が来て車が流され、自分は2階でなんとか助かったが、この場所には住めないと思った。
・以前、函館に住んでいたこともあり、北海道の人のあたたかさを知り北海道を選択。
・夕張が海から離れた場所ということと、財政破綻した町が被災者支援をしていることで、若い自分が新天地として選んでみた。
・余震が続いていたことから、今度何かあった時に親族一同避難できる空き家が夕張にはある。
・都会より、田舎の方が、自然の多い環境や人の温かさが自分には合っている。
・石炭の採掘地だけあって地盤が強く地震の時も揺れが少ない。
○夕張市に暮らしてみて思うこと
・地震や災害を心配している人には、地震の少ない夕張市にきてほしい。というのも夕張市は65歳以上の高齢者が多く、人口の減り方も大きい。
・今がどん底であるので、外から来る人にとっては、やりたいことをやれる町、起業やイベントを行ってみたりもいいのではないか。
・交通の便は非常にいい。札幌から車で1時間、千歳空港からも1時間、苫小牧フェリーターミナルからも1時間。
・娯楽施設などはないが、札幌など他の街に行けばいい。
・自分は、夕張市で安心・安全な暮らしを手に入れることが出来たので、あとは、夕張市民への恩返しをしたく町の再生ということで最初の1年は、ボランティア団体に入っていたが、若い人が少なく、地域の中だけの交流しかない。
・未来を考えていく力は、若い人の方があり若い人の集まりが必要であるが、地元の青年会議所が2人しかいない状態のところに参加(今13人になった)
・青年会議所を通じて全国の人とのつながりが増え、外から夕張をなんとかしなければという動きが出ている。
・たとえば廃校を利用した「みんなの図書館」の開設
・映画祭など、イベントが多く、狭い町なので俳優さんとも飲み屋で会えるようなことも他ではないこと。
・しかしながら地元の人たちが、破たんしたことで被害者意識が強く、今、動いているのは、外から来た方が多い。
・夕張でも地域おこし協力隊があり、今年、若い人たちに住んでもらうために「まちコン」を行う。
・高齢者は、夕張は、何をしてもだめだよ・・という気持ちが強いが、地元の人が夕張はいい町だと伝えられるように自分たちが起爆剤になり、よそから来たもの、老若男女みんなが力を合わせて頑張っていきたい。

■座談会

・南相馬市出身で天気が良かったところから札幌に来たので、今回、他の地域の天気についてや子育ての環境などを聞けて良かった。

・年金暮らしなので経済面が心配だが、石狩市の住宅の安い話を聞くと、自分でも購入できるような希望が持てた。大きな敷地に畑などもできたらいいと思う。
・茨城から北海道での定住先を探している。皆さんの力を借りて情報を取りながら探していきたい。
・今日、話を聞いた側が今後、情報を発信していける側にまわるような流れができるといいと思う。